tozangezan's diary

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日記
EC難しい
秋葉原に行った
本郷にも行ったけど本郷ではマジでやることがなかった
以下、東京に関する考察

池之端二丁目には公園があり、ここにはかつて都電の電停があったことを示す都電モニュメントがある。ここは不忍通りから公園側に微妙にズレた場所に設置しており、ここから北側は不忍通りを通って道灌山下を抜け、江戸川橋に至ると考えられる。一方で逆側は非常に不思議である。写真を見るにこの電停の位置は移設されていないと考えられるが、この直後にグリーンパーク的な名前の施設にぶつかり、明らかにこの施設が都電の廃線跡に作られたことがわかる。しかしここから次に公道にぶつかるタイミングまでが非常に長く、謎であった。そもそも「動物園の脇を都電が通る」という記述を見たことがある。(今までこれは池之端門のことをさすのだと思っていた)
さらに関連する写真を見ていくと、動物園の西園入口に沿った位置に電停があると記述されている。道の形状を実際に行って見たところ、これは現在でいう東園と西園の間に相当する場所ということになる(現在この位置には動物園の入口はないはず)。これを解釈するには動物園内を都電が専用軌道で突っ切っていたということになり、動物園が拡張されたのではないかという仮説に至った。上野動物園の簡単な歴史を見ると、都電廃止後の1977年に西園がリニューアルオープンされたとある。すなわち、都電の専用軌道が廃止された数年後、動物園の拡張工事などによって専用軌道のあった場所が動物園用地となり、さらにかつての西園入口とそれに沿った都電の線路沿いには新しい土地ができたため、新し目の施設が建設されたのではないかと考えられる。
この道をさらにまっすぐいくと、確かに動物園用地として異様な無を呈している弁天門の立ち位置もわかる。おそらく専用軌道あとに中途半端な幅の通路が残ってしまったのを、出口にしたのではなかろうか。このあと都電はさらに不忍池をひたすら沿った経路を通っているようで、これは現在の不忍池沿いにある下町民俗資料館的な建物の目の前を通ることになる。確かにここの池のほとりは異様に池の周りの空間の幅が広く、何にも使われていない謎の空間も目立つが、かつてはここに都電が走っていたのだろう。このあと公園の南側を中央通りの方向にカーブし、中央通りを南下して上野松坂屋の方に抜けていくのがかつての都電のルートであったと考えられる。以上、今回は根津〜上野松坂屋の都電のルートを振り返った。

語学
Anki
タタール語単語、タタール語作文、フランス語単語、フランス語作文、フランス語文法、アラビア語文法

ラジオ
Journal en français facile, Invité d'Afrique, NHK World

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ラコタ
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